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ご縁

 ビジネスにおけるタブーな話題に「宗教」があります。あえて今日はそんな「宗教」に絡めた話題です。

 

 私は自称「無宗教」です。世界にはキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教など様々な宗教があり、それぞれの宗教に宗派があります。過去の歴史を見ると、これら宗教間、宗派間における紛争や迫害が度々起こり、今もなお問題は解決されていません。国内に目を向ければ、一部の不道徳な宗教が人の弱みにつけこみ暴利をむさぼったり、過激なテロを起こしたりしています。私は宗教自体に反対なわけではなく、人の心のよりどころになったり、正しい道を示す一つのマニュアル的な存在になりうるのなら、良いと考えています。

 とはいえ、家には立派な仏壇やお墓、神棚があり、葬儀では数珠を片手に参列します。宗教的な慣習が薄れている昨今の日本においても、やはり生活に宗教は根付いているのは事実です。

人の死を大切にする

 身内の死として、曾祖父、祖父、祖母、義祖父の死を経験しています。その都度、葬儀が執り行われ、その後も周忌の法要が執り行われてきました。その都度、我が家に来てくれる住職さんは同じ集落のお寺で、息子さんは私と同級生です。説法で「煩悩を無くしなさい」という話をするのですが、本人こそ煩悩で溢れていて、時々約束を忘れてしまうような親しみのある方で、私は大好きです。

 その住職は御勤めが終わった後、親鸞聖人の言葉を説いてくれるのですが、無宗教の私でもずっと心に残っている言葉があります。

 

・葬儀は故人の為ならず

・故人がご縁をくださっている

 

 葬儀には多額のお金が掛り、参列する側も「香典」として決して安くない出費が発生します。葬儀屋だけが儲かるようなこんな儀式やめたらいいのに・・・とも思いますが、なかなかそういう訳にもいきません。

 その中で「葬儀は残された人の為に行う」という考え方を教えてもらいました。残された人が、故人の死を受け入れたり、時には反省したりする場として葬儀があるのだと言います。良きも悪きも様々な思いを最後に火にくべることで、残された人たちが新たなスタートをきるためだというのです。

 

 また、葬儀やその後の周忌毎に近所・親戚が集まります。故人の死が多くの人を呼び、めぐり合わせる縁を与えてくれるのだと言います。私の父親は、周忌の法要によって従弟と縁が深まり、趣味の登山仲間となりました。私自身も親戚の近況を知ったり、従弟と話したり、時には仕事のつながりができたりしました。

 個人の死は「お別れ」でもあるが「出会い」でもある、そんな事を親鸞聖人が仰ったようです。

ご縁を大事に

 どんな仕事においても、縁(人の繋がり)がとても大事です。これを軽視するような方は、決して成功するとは思えません。特に、自分で生業をしている方は尚更で、私のような経営コンサルタントでは生命線とも言えます。

 今回「私が縁を大事にしている」と言いたいわけではなく、経営において「縁」が大事だと言いたくてこの記事を書かせて頂きました。

 それはお客様との縁ではなく、仕入先や従業員もそうですし、何気なく入ったコンビニの店員さんもそうです。すべての縁を大事にすると、自ずと成功の道が見えてきます。というより、縁が道を作ってくれます。縁だけで成功している人も多く知っています。

 

 これからも多くの人と出会うと思いますが、1つ1つの縁を大事に、より深くしていきたいと思います。